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【カラダとココロのオブラート通信】
2025-10-12 vol.147
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ようやく秋を感じる日が増えてきましたね。暑い日と涼しい日が交互に来ると、
自律神経の乱れにつながるので、そこは少し気になるところです。
本日も、ゆるっとよろしくお願いいたします。
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*◇* ネガティブ・ケイパビリティとスピリチュアルケア *◇*
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NHKのドラマ「幸せは食べて寝て待て」でも出てきた「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉。
皆さんは聞いたことがありますか?
4月から上智大学グリーフケア研究所で学び始めてから、
講義をされる先生方のお勧めの本として紹介されたことがきっかけで詳しく知りました。
「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」
帚木 蓬生(ははさぎ ほうせい)
精神科の先生が書かれています。
ネガティブ・ケイパビリティについて、本の中ではこのように記されています。
・どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力
・事実や理由をせっかちに理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力
本の中で、受診者の例について紹介されていました。
①Aさんは70代半ばで、腕のいい大工だったが、ずいぶん前から仕事がなくなりイライラと不眠になった。
訪問営業をすると不審者と間違われて、結果的に廃業することになった。
②30代後半、主婦のCさん動悸と不眠で受診。本当の悩みは家族のこと。
教師の夫がうつ病で何度も休職し、朝からお酒を飲んでいる。
小学生の息子は不登校で、娘は習い事が長続きせずあきっぽい。
③Gさんが80才になると、20年間介護した夫が死去。涙が止まらなくなって受診。
その後10年間、姑の介護ののちに死去。食欲もなく、体重が減っている。
人前では普通にしているが、毎朝お経を唱えながら涙が止まらない。
精神科の医師として、Aさんには抗不安薬と睡眠導入剤、Gさんには食欲増進剤の処方
(Cさんの処方は記入がありませんでした)をされただけで、
著者は手のつけどころのない悩みで、この宙ぶらりんの状態をそのまま保持して、
間に合わせの解決で帳尻を合わず、じっと耐えていくしかない、と感じられていたそうです。
この「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を聞いて、まさにレイキだな~と思いました。
自分の力を精一杯尽くしたら、あとは全て大いなるものに委ねる。
ネガティブ・ケイパビリティの根っこは、自分ではどうにもならないこと、にあります。
家族だったり、状況だったり、感情だったり、持病や体の不調、病気もそうかもしれません。
いろいろなものを抱えながらも、いかに心を安定させることができるか。
どうしようもない中で、いかに生きていくか~全部レイキ的な生き方
(大いなるものに委ねていくことで力を抜いていられる生き方)につながります。
レイキヒーリングや、呼吸法などで今この瞬間を感じる。心を整えて、自分を安定していく。
たまにサロンでお話している、曖昧力(あいまいりょく)についても、
ネガティブ・ケイパビリティの一つなのかもしれません。
全てを明確にしようとしない、曖昧なままをそのまままるっと受け取る、追求しない。
学校では、聴く・語るの演習があって、どこまで話すかは相手が決めるだと学びます。
なぜ、どうして、と思うことがあっても、相手が話すそれ以上は追求しないのです。
相手がどう思っているか、明確に知りたくなるのも、また欲なのだと学んでいます。
さて、話は変わりますが、キリスト教人間学という授業の中で、
スピリチュアルケアは呼吸のケアであるという話を聴きました。
スピリットは、霊性という意味だけでなく、風、息という意味があるそうです。
聖書では、土の粘土で人が作られて、神が息を吹き込む。
先生曰く、生まれるときには神の息を吸い込んでオギャーと生まれて、
亡くなるときには神の呼吸をあずけるそうです。
たしかに、亡くなるときは息を吐いて、今の体から抜けていきます。
この話を聴いたときに、犬との最期の時間を思い出しました。
犬るいは、なかなか旅立つことができなくて、苦しそうな時間がとても長くて。
その時に呼吸を合わせると旅立ちやすいということをネットで知り、
最期の日はできるだけ、犬るいと呼吸を合わせるようにしていました。
終末期の対応で、あれでよかったのか、という迷いは今もあって、
それ自体はどうしようもできないことではあるけれど、
呼吸のケアはもしかしたらできたのかもしれない、と思うと少しだけ癒しが深まる気がしました。
(私は特定の宗教を持っていません)
犬との別れから1年半が過ぎました。
先住犬のブリーダーさんに予約はしているのですが、
あと1年ほどでブリーダー業を終了されることもあり、また出産も少ないことから、
夫主導で8月にもう一つのブリーダーさんに予約をする流れになりました。
(もしご連絡があれば、人生初の多頭飼いになります)
繰り越しされる方もいて、今月末には我が家に新しい犬が来る可能性が高まってきました。
まだ子犬さん確定ではないのですが、生後2か月の子犬さん、
生後4ヵ月のやや子犬さん、または里親として成犬さんか~
また、ブログでご報告させてください。
