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これまでのメールマガジン*バックナンバー


「明るい未来流れを、ジブンで」

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【カラダとココロのオブラート通信】      
       2024-10-10. vol.135
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https://oblate.yu-yake.com/

数日前から、急に寒くなりました。
厚手の布団に毛布を出して、我が家はこたつも出しました。
寝すぎるぐらい寝てしまう、秋冬。
こたつが大好きで、くつろいでしまいます。
本日も、ゆるっとよろしくお願いいたします。

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*◇* スピリチュアリティとは何か、スピリチュアリティに向かう時  *◇*
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あることがきっかけとなり、臨床や学術的な本を読んでいます。
「死とスピリチュアルケア論考」奥寺俊之著
「グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ」高木慶子、秋丸知貴著

これらの本に出会う少し前に、たまたまブログで似たようなことを書いていました。
●みなの心にある宗教心。宗教と宗教性は似ているようで違う
https://ameblo.jp/oblate0907/entry-12868656657.html

記事を書いて少しして、これらの本を読みまして、
スピリチュアリティについて、まさにこれ!という
表現がなされましたので、ご紹介させていただけたら^^

「スピリチュアル」あるいは「スピリチュアリティ」は、
誰もが持つ普遍的で根源的で日常的な「信仰心」や「良心」などの
心の持ち方であり、毎日の生活の中で自ら磨き清めていくものである。
(グリーフケア・スピリチュアルケアに携わる人達へ)

スピリチュアルとは超能力や超常現象や、限られた人だけのものではない、
皆が持っている普通のことで、人智を超えた大いなるものであり、
大いなるものの慈悲や自愛を信じる力である、と。

いわゆるスピ系ではない、臨床に関わる方や学術的な分野においても
(特に海外では宗教が人々の中に当たり前にあるので)
スピリチュアル、スピリチュアリティという言葉は
すんなりと受け入れられているようです。
日本では、昔は仏教がそれらを担っていましたが、時代が変わり、
今では、オカルト的な見方をされることが多いのかもしれません。(残念)

スピリチュアリティに向かうのは、死に直面した時が多いそう。
目に見えるもの、現実世界に限界を感じると、
人は精神世界、見えない世界へと自然と心が向かうとありました。
死に直面した時には、未来がなくなることで、
目に見える物としての肉体にも限界を感じるから。

そういう意味では、死だけに限定せず、現実世界、見えるもの
(お金や名誉だけでなく、様々な人間関係の中)に対して
辛さや憤り、苦しみを感じた時にも、同じようなことが言えるかもしれません。

私は、このスピリチュアリティを、
現代レイキと算命学という手段を活用することで、深めています。
その人の中の信じるものとして、何かしらの大いなるものを信じれば良いので、
その手段はなんでもよい(人をだます、特定の人のお金儲けではない、
道徳的なものであれば)と思っています。
お天道様、どこかの山や海、空、ご先祖とつながる。
そして、自分にとって心を清める手段を持つことでずいぶんと楽になります。

現代レイキでは、横線である現実にいながらも、
縦線である精神世界で生きるとあって、全てはつながっているなぁ~と感じます。
算命学では、現実に生きることができる人と精神世界で生きたほうが楽な人がいて、
スピリチュアリティへの気づきはその人の特性により異なる部分はあるのかもしれません。